今、ハマッテいるテレビドラマ
今、ハマッテいるテレビドラマは・・・。
残念ながらすべて海外ドラマ。
(1)コールドケース
正月のテレビはこれがお奨め。
コールドケースは迷宮入り事件のことで、ミディアムは媒体、ここでは霊能者の意味。
どちらのドラマも見終わってから心に残る内容です。
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今、ハマッテいるテレビドラマは・・・。
残念ながらすべて海外ドラマ。
(1)コールドケース
正月のテレビはこれがお奨め。
コールドケースは迷宮入り事件のことで、ミディアムは媒体、ここでは霊能者の意味。
どちらのドラマも見終わってから心に残る内容です。
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先日、アメリカのテレビドラマについて書いたのだけれど、その中で結構褒めたCSIマイアミは昨日で終了してしまいました。これから見ようとしていた人には申し訳の無いことをしてしまったので、ここで謝らせていただきます。(テレビ局が悪いのだけれど・・・)
同じ時間帯では今日から韓国ドラマがあるそうなので、興味ある人(多分おば様方)は引き続き見てください。なお、一昨日のCSIマイアミでは主人公がニューヨークに捜査に出かけ、そこでCSI NYと協力している様子が描かれており、いずれテレビ東京でCSI NYが始まることを期待しております。現在はWOWOWで土曜日夜11時から放映中です。
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1950年から1960年代にかけての日本のテレビ番組は、アメリカのテレビドラマ1色であった。そのころは優良な番組を日本で作る素地が無かったので、視聴率を稼ぐために手っ取り早くアメリカからテレビ番組を買ってきたのだ。
私が小さいころに見た覚えがあるのは、
漫画では「トムとジェリー」や「ポパイ」、スパイものでは「スパイ大作戦」、「ナポレオン・ソロ」や「それ行けスマート」 。
警察や弁護士など事件裁判ものでは「ペリー・メイスン」や「FBIアメリカ連邦警察」、「ハワイ5-0」や「サンセット77」。
ファミリーものではアメリカの普通の家庭を描いた「パパ大好き」や「うちのママは世界一」(電化製品や車がある暮らしぶりに驚いた)。
そして毛色の変わった「かわいい魔女ジニー」 や最近映画でリバイバルされた「奥様は魔女」。
SFものでは 「宇宙大作戦」や「未知の世界」、その後も何度となく映画化された「スーパーマン」。そして戦争ものでは 「コンバット」や「ギャラントマン」、西部劇では「ライフルマン」。そして忘れてはならないのは 「ベン・ケーシー」。
(以上、RSKラジオ”日曜はおとなスタイル”から引用させていただきました)
ところが最近の日本のテレビ番組を見てもアメリカのテレビドラマは少なく、誠に残念である。その中でも頑張っているのがNHKのER(現在は休止)とテレビ東京(12チャンネル)のCSIマイアミの二つである。特にCSIは科学捜査班(鑑識)を主役にした事件ものであるが、その科学的なアプローチや使われている器具の性能などには正直驚いた。ただ放映時間が昼間であるのが残念(録画して見ているが)。
このような良質なテレビドラマを制作する国アメリカは、まだまだ捨てたものではないと思う。日本のテレビ局の中では、”ガイヤの夜明け”や夜11時からのWBSを制作し、CSIマイアミを放映しているているテレビ東京(12チャンネル)の頑張りようが特に目を引く。
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学生時代のころに友人と「漫画とSFはどちらが高尚か」という埒もない議論をしたことがある。1960年代後半から1970年代前半は、日米安保条約の自動継続とそれに対する学生運動が高まった頃で、学生が争って読んだ雑誌が朝日ジャーナルと平凡パンチ、そして少年マガジンだった。(今、思うと三つの雑誌にはなんら共通性がない!)
昔から本を読むのが好きで、昔住んでいた町営住宅の隣りに学校の先生が住んでいたこともあって、良く本を借りに遊びに行った覚えがある。小学生の頃は「少年少女世界文学全集」を、中学生になってからは日本現代史や歴史小説を読み耽った。高校生になって友人からSFを紹介してもらい、最初に読んだのがSFマガジン・ベストNo.2(早川書房発行昭和41年7月出版)におさまっていた筒井俊隆氏の「消去」だった。筒井俊隆氏は来週から始まる深田恭子主演の富豪刑事の原作者である筒井康隆氏の弟で、この「消去」と読んだことはないが「相撲喪失」の二編を書いている。
前々から映画「マトリックス」の内容が筒井俊隆氏の「消去」に良く似ていることに気が付いていたが、最近になって兄の筒井康隆氏も「哲学の冒険」という本の後書きに同じようなことを書いていることを知った。
この「消去」の主人公は若い男性で、人生に失望して自殺する。しかし覚醒した後に、自分は培養液の中で生かされている脳のみの存在であることを知る。そして、死ぬ前に知覚していたことは全てコンピュータ(小説では電子頭脳)により作られた幻であり、生きながらコンピュータにより制御されていたことを知るのである。これは映画は「マトリックス」の主人公と全く同じである。ただし、その後どのような運命を辿るかは全く異なる。
この「消去」を最初に読んだ時に、全くSF小説というのは全く非現実の世界を描く奇妙な分野だと思った。しかし、待てよ、このsituationはただの想像ではなくもしかしたらあり得るのではと、ふと自分の手をつねったことも事実である。
現在、映画がもたらす映像はわれわれの想像力を超えており、特にCGによる映像は現実のものと全く差がなくなっており、言われなければ分からなくなっている。
一方、コンピュータゲームは今の若者が夢中になっている一つであるが、そこでもCGが使用されており、ゲームに熱中する間は人間の視覚、聴覚などの知覚細胞はコンピュータがもたらす映像や音響に支配されている。長ければ一日中ゲームに没頭しており、そのゲームが終わることにより再び現実に戻る。このsituationは「消去」のsituationと同じである。
最後に小説「消去」の主人公は、現実から退避して覚醒前に経験した人生を「消去」してもらい、再びコンピュータが支配する培養液に戻っていくのである。ゲームに熱中する若者はどちらの世界を「消去」するのであろうか?
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