「競技を棄権する」に対して
女子マラソンの土佐礼子さんが今日午後7時30分過ぎに成田国際空港に到着した。その際、居合わせた旅行客らから「お疲れ様」とねぎらいの声をかけられたという。おそらくその場にいた大部分の日本人もそのような気持ちだったのだろう。同じく野口みずきさんのオリンピック辞退に対しても、彼女の無念さを考えると日本人の多くは同情こそすれ彼女の行動に批判的な人はいなかったのでないだろうか。
一方、中国の国民的英雄、劉翔が右アキレスけんを痛めて棄権したことに対しての、中国国民の反応は全く違っていた。それに関連した記事を読むと・・・。
男子110メートル障害1次予選。地元の期待を一身に背負った劉翔が足のゼッケンを外してレーンを後にした。早朝から英雄を見ようと訪れた人々は何が起きたのか分からず、声を失った。
スタートしてフライングがあった。レースが止められ、みなスタートブロックに戻される。このとき、足を気にして顔をしかめた。中国の女性記者が涙を流している。いら立ち、大声で怒鳴っている男もいる。あり得ない、あってはいけない棄権だと、だれもが思った。今季は脚部を痛め予定していた大会を欠場するなど順調とは程遠いシーズンを送ってきた。だが、開幕前には「重圧はない。僕を信じてほしい」と金メダルを誓っていた。「アジアの昇り竜」は、最初の段階で飛翔できなかった。
中国の副首相自ら劉翔の見舞いに病院に行き、この騒動を鎮静化しようとしている。「競技を棄権」することに対する反応の違いはどこから来ているのだろう。もちろん、中国人の中には彼に対して同情的な意見を持つ人もいると思うが、ここで注意すべきことは何故このように「非難する人」と「同情する人」に大きく分かれたのかである。もしかするとそれは中国の国内情勢、特に貧富の差などの社会情勢から来ているのかもしれない。オリンピック以後の中国の情勢に目が離せない。
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