小沢氏の去就と関ヶ原前夜
学生時代に中国の歴史書「十八史略」を読んでから、中国史や日本史に限らず歴史小説本を買い漁って読みふけった。
大学時代に山岡荘八の「徳川家康」が廉価な文庫本として出版され、中央公論の「日本の歴史」(これも文庫本だった)と一緒に各月購入して読むのが楽しみであった。
この徳川家康が上杉征伐の途中、現在の栃木県小山市で評定を行い、多くの大名の支持もあって大阪に攻め上ることを決めた後、なかなか江戸から動こうとしなかった事実がある。一説によると、先鋒を勤めた福島政則などの豊臣恩顧の大名の裏切りを心配したために、なかなか本拠地の関東から動こうとしなかったようである。その後、徳川家康の腹心である本多正純の意見を入れて、徳川家康の上京を待たないで福島政則らが戦闘を開始することで、その後の関ヶ原の戦いへと雪崩れ込むのである。
今回の小沢氏の騒動も、この関ヶ原前夜に取った徳川家康の行動に似ているような気がする。つまり、徳川家康は天下分け目の決戦を前にして、敢えて自分が動かないことで豊臣恩顧の大名達の決心を促したわけで、小沢氏の代表辞任の騒動も、今一ピリッとしない民主党の衆議院選挙への決意を固めることが目的だったと考えるのは穿ちすぎであろうか。
真相はもっと単純なことかもしれないが、この程度の仕掛けは朝飯前と思わせる雰囲気を、小沢氏はまだ持っているようだ。ただし、今回の小沢氏の行動が民主党にとって、さらに国民にとって吉と出るか凶と出るかはまだわからない。
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